がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

【短編小説】みかにゃ豊作音頭

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私はふるさとが嫌いだ。
いや、ふるさとなんてないと言ったほうが、むしろすっきりする。

私が大学進学を機に東京へ上京するまでの18年間、その場所にいた。
私は日本海の一年中荒い波と、快晴なんて滅多にない鉛色の空に囲まれた。
その陰鬱な空気にぴったりのように某国の仕業と噂されるの拉致の被害者も多く、田舎としては物騒な場所だ。
風はいつも恐ろしい化け物のような叫びをあげ、砂浜に生えた薄茶色になった草が虚しく今にも抜けそうなほど激しく揺れている。
冬になると、雪がずっと降り続け、ますます太陽の光を見ることはない。
町の人は鼻にまでマフラーを覆い、目だけを出し、無表情で無機質に毎日雪かきをする。
こう言うときいつも変わっていると言われるのだが、私は東京のほうが住みやすい。
毎日晴れていてぽかぽかしているし、風も穏やかで、人の喜怒哀楽がちゃんと見えるし、正体の分からない物騒さよりもまだ顔が見える物騒さのほうが安心する。

もちろん、この気候だけが私をふるさとが嫌いになった理由ではない。
ともかく、私は自分が嫌いだった。
母親と呼んでいた人は綺麗な人だった。
若い頃は銀座でバーをやっていたようで、かなりモテていたらしい。
未だにその武勇伝は聞かされて、うんざりしている。
50代後半になっても、薄化粧にほんのりと赤い口紅を塗っていた。
周りからは未だに綺麗だと言われているし、同世代の女性を見てもたしかに綺麗なのだろうなと娘の私ですらそう思ってしまう。
彼女は父親の出身地であるこの場所に嫁いで行き、私が生まれた。
父親はロシア系の血を引いていたので、背が高く、彫りの深い顔をしていて外国人とよく間違われるような顔をしていた。
こんな美男美女の夫婦から、さぞかし綺麗な娘が生まれるのだろうと期待して、私は生まれてしまった。
小学生ぐらいまでは、それは天使のような姿だったようで、髪は透き通るような茶色い髪で、目の色もほんのりとグリーンだった。
ところが、中学に入って思春期のせいかニキビが左の頬にブツブツと占領し始めて、私は醜くなってしまった。
次第に茶色い髪は輝きを失い、白髪になってしまった。
目の色もグリーンの色素がどんどん抜けて、エメラルドのようなグリーンをブラックホールが吸い込むように真っ黒な瞳になってしまった。
そんな姿になった母親は、毎日、私の顔を見てはため息をついていた。
最初は私が天使だったときの写真を眺めては「あの頃は可愛いかったわね」と言っていた程度だったが、だんだんとそれはエスカレートしていき、「ニキビなんてまた作りやがって!自己管理ができてねぇからよ!」と怒鳴られたり、「私はお父さんが嫌いで結婚なんかしたくなかったけれど、あの人の綺麗な遺伝子を残したかったから結婚したのに、お前は何てザマだ!」と言われるようになった。
私はその度にほんやりと、赤く塗られた口紅を見つめていた。
その赤が私には炎のように見え、今に私を燃やし尽くしてしまうのではと思った。
別に好きで醜く生まれたわけではないし、何だったら生んでくれと頼んだ覚えがない。
暴力を振るわれたことは一度なかったが、ともかく母親の言葉の暴力がはじまった。
もちろん、見た目をなんとかしようと私なりに努力はした。
ニキビに効く化粧品をあれこれと試してみたり、白く光る白髪を染めたり、カラーコンタクトをつけたりとした。
でも、全てがダメだった。
化粧品はどんどんお金が消えていくだけで効果は全くなく、白髪も染めてはみたものの1週間しないうちに白髪が生え元に戻ってしまうし、カラーコンタクトはある日とても目が痛くなり眼科に行くと、コンタクトが合わない体質でつけることを禁じられた。
努力して何一つ美しくなれない…。私は中学のときから自分に絶望していた。
高校に入り、中学のときよりは自由がきくようになったので、私は部活だ、アルバイトだと言って、家にいる時間をなるべく少なくしようと思った。
そんな中、私に好きな人ができた。部活の一つ上の先輩だった。
しかし、片思いの3か月目に、私と同級生の綺麗な女の子と付き合っているということを知り、私の恋は終わった。
やはり、こんなブスに振り向くはずがないと身にしみて悟った。

幸いにも私はとて勉強ができたので、東京の名門と呼ばれる大学に進学することができた。
憧れのひとり暮らしだった。これで、私はあの家から、あの場所から逃げることができると思った。
私は今でも大学の入学式のときに見た桜を忘れない。
ふるさとは豪雪地帯だったので、桜の開花はいつも4月の終わりだった。
慌ただしい新年度が始まって少し落ち着いた頃に咲くのが桜だと思っていた。
でも東京の桜は、人々が何か新しいことを始めるときに咲くものだった。
淡いピンクの花びらがひらひらと散り、花々の向こうに陽の光が透けて輝いていた。その光景が私の新しい「何か」の出発を予感させるようなそんな気持ちにさせ、それだけで胸がときめいた。

それから私は母親から解放感でいっぱいで、人生の桜もちゃんと咲いたように春が来た。
ニキビも徐々に減り、東京で良い美容師さんに会い白髪の悩みもなくなった。
目の色の問題は結局解決はしなかったけれど、その頃にはどうでも良くなっていた。
大学でたくさんの友人に私の肌の綺麗さと白さをいつも褒められ、なんとなく自分の見た目の良い場所もあるものだなとはじめて冷静に思うようになった。
化粧を覚え、東京の刺激的でとてもおしゃれなファッションにも出会い、自分で言うのおかしいが、いや実は確信していることだが、中学のあの醜い自分は過去のものになった。あの頃の私はもういない。
そして、ふるさとに帰ることもなくなった。
本当は醜い私がいなくなったにだから、母親に対して自信を持って接することができたはずだったが、一度自信を満々にして帰ったときに母親は一切表情を変えず、相変わらず赤い口紅が熱い炎のように私をヒリヒリとさせた。
「相変わらずダサいわね。化粧も下手だし、服のセンスもなってない。あなた、それが一番おしゃれなつもりなの?」
口元が緩み、目尻に皺を寄せ、完全に見下されていると分かった。
そしてこの人は私がいくら綺麗になっても、きっとこうして私を評価なんかはしてくれないし、一生見下し続けるのだと悟った。
やはり、私にふるさとはない。

それから、街を歩いていたときに、とある高級クラブのスカウトに声を掛けられた。
最初は小遣い稼ぎと思っていたのだが、私には接客のスキルがとてもあるようで、みるみるうちに売れっ子となってしまった。
何より、男たちが私に気に入れられようと媚を売ったり、気を遣っているのがとても気持ち良かった。
そう、みんな、私をものにしたい人ばかりが群がって、醜態をさらしながら、それでも弱肉強食の争いをしている…。
こんなこと、ずっとふるさとにいたままだったら、味わえない快感だった。
そして気付くと、当たり前のように私に男ができ、そいつらもいつも私の機嫌を伺うようにソワソワしている。
それでいい。みんな、私の為に狂ってしまえばいいのだ…。
本当はこのバイトも大学を卒業したら辞めるつもりだったが、チーママの話が来て、結局就職せずにこのクラブで働いている。
相変わらず男たちは面白いくらいにみんな私に踊らされている。
その頃、私は両親とも一切連絡を取っておらず、母親をはじめ、たくさんメールや電話が来てはいたが、それを全て無視した。
どうせ接触したら、また私を罵倒し、二度と戻りたくないふるさとの記憶を思い出させることになる。
その頃、出身地を聞かされると東京と答えることにしていた。出身地を隠すことに何の後ろめたさも罪悪感も一切なかった。むしろ、もう本当に自分は東京出身なのだと自分自身ですら思い込んでいた。

私はとてもお酒が強かった。
あれはチーママとして仕事が慣れはじめ、世間はお盆休みという前の晩だったと思う。お酒の強い客とどちらがお酒が強いか競うような雰囲気になったときだった。
私はとても酔っていて、どうにでもなれという気持ちでカルトワインを瓶ごと口に付け、ラッパ飲みをした。
そして意識が急に遠ざかっていくのを感じた。やってしまった。とは思ったが、それはとても今までに経験したことがない気持ちの良い落ちかたで、落ちてはいけないとは思いつつ、あまりにも気持ちが良かったので、後のことはどうでもよくなり、このまま落ちてしまってもいいかという気持ちになった。
それは、高いビルで頭から落ちているようだった。
しかし、それはとてもゆっくりで背中に羽の生えたような全身が柔らかい何かに包まれたような風のようなものが吹いていた。
辺りを見回すと、空は一面の黄金色に近い黄色の世界だった。

目が覚めた。
真っ暗だった。
体じゅうがざらざらした粒の細かいものがまとわりついていて、感触の不快さに気がついた。
ここは……どこだろう?
びっくりして跳ね起きた。
「痛い!」
と思わず、声を上げ、頭を両手で押さえた。
とっくに限界を超えてお酒を飲んでいたので、頭が重く、ひどく締め付けられたような痛みを感じた。
手元すらも全く見えないほど真っ暗な場所だ。
しかし、脚にひらひらと絡みつく馴染みのある生地の感触や、自分の肩にひんやりとしたものを感じると、お店のドレスを着たままであることが分かった。
たぶん自分はとんでもない場所にいるとは感じ、早くこの場所から動かなければと思うが、容赦なく襲いかかる頭痛のせいで、1ミリも動けなかった。
頭を抱えたまま、しばらくうずくまっていると、ごぉー、ごぉー、と低い唸り声が辺りに響いていた。
そして、だんだんと、ごぉーばしゃーん、ごぉーばしゃーん。と何かが勢いよくぶつかり、粉々に砕ける音が聞こえた。
「もしかして……ここは……海?」
そう思ったときに、自分の体にざらざらした粒の細かいまとわりついていたものが、砂浜の砂ということで合点がいく。
しかし、私はどうして、お店のドレスのままで海にいるのかが分からなかった。
ごぉー、ごぉー。ごぉーばっしゃーん、ごぉーばっしゃーん。 「この海、何かがおかしい……。」
東京湾の海は湾が入り組んでいるため、風も波も穏やかだと聞いたことがある。
もちろん、天気によっては東京湾も荒れることがある。
しかし、私がお店で倒れ、この暗さがまだ夜だとして、一日中ここで倒れていなかったとしたら……そんなことはない。この頭痛の感じからするとまだお酒は体に大量に残っていて、一日中倒れているはずがない。まだ、夜は明けてない。
つまり、今夜の東京の天気は晴れだ。
出勤途中で、ねっとりとした風が全くない暑さを感じていた。今夜は天気が荒れるはずがない。
「ここは……東京の海じゃないかもしれない。
……ふるさとの海に……似ている。」
容赦なく吹き付ける強い風。荒々しく岩にぶつかり、惨めな白いあぶくと散る波。
一年中雲が多く、夜でも全く星が見えず、某国の工作員が拉致の場所にうってつけと考えたであろう真っ暗な海。
しかし、私が倒れたときは夜中の2時を過ぎていたから、どんなに車を飛ばしてもふるさとに着くのは夜明けになる。
ここは、どこだろう。
そんな状況にもかかわらず、私は少しも不安を感じなかった。

すると遠くで笛の吹く音(ね)が聞こえた。
さすがにそれにはびっくりして音の方角に顔をそこでやっと上げた。
相変わらず何も見えない。
笛の吹く音に間隔を開け、どん、どんと調子を取るような音が聞こえる……和太鼓のようだと思った。そして、ちゃらんちゃらんと鐘のような高い音が聞こえてきた。 「まさか……あれは……。」
そして、その音楽たちはどんどんこちらに近付いているのか、どんどん大きく、次第にはっきりと聞こえてきた。

ソーレ、ソーレ、ソーレ。

女性が何人かで言っているのか甲高い調子を取る声が聞こえてきた。

ソーレ、ソーレ、ソーレ、ソレ、ソレ、ソレ、ソレ……
はぁ〜 今年 豊作 幸福あぎたい 海の神 嗚呼 山の神
アソーレ
風がごめごめ吹くしった あら あぎたいな コメ んまかっべ
陽は降らなぎたぁ だが おらんの ししん さんさんだ
荒海 ぶつかりゃ おらんの魂みな 逞しんだ 皆ものよ

そう……あれは、みかにゃ豊作(ほうっさ)音頭だ。
みかにゃ豊作音頭とは、私のふるさとで毎年夏祭りに町中の人たちが集まる盆踊りのことだ。
みかにゃというのは私のふるさとでは、自然の神様のことを呼ぶ。
私たちはこのみかにゃのおかげで、幸せに健康に暮らせている感謝の音頭だった気がする。
そんなことを知っているのは、小学生のときに、課外授業でお祭りの手伝いを強制的にさせられたときにこのみかにゃ豊作音頭を覚えさせられ、歌わせれたからだ。
とは言っても、こんなことを思い出したのは本当に小学生以来だったから、何年ぶりだろう。
ということは、やはり私はふるさとの海にいるのだろうか?それとも夢を見ているのだろうか?

相変わらず辺りは何も見えない真っ暗闇ではあったが、みかにゃ豊作音頭の集団がもう自分の目の前にいるのは分かった。
どうなるのだろうと思っていた矢先に、突然ぱっと明るい光が差し込んだ。
あまりの眩しさに、私は指で目を覆った。
そして薄目を開けて、その集団のほうを見てみると、般若のような恐ろしい表情をしたキツネのようなお面を被り、白地に紺の模様が入った浴衣を着た集団だった。
あのお面がみかにゃらしく、あの浴衣は私のふるさとの自然を表現しているらしくみかにゃ豊作音頭を踊るときは必ずそれをしたなければいけないという伝統がある。
その集団は二列に隊列を作り、後ろに5列ほど並んでいる。
両手はあえてだらっと上げるのが決まりで、浴衣も襟をわざと弛ませ、男性は胸元をはだけさせるように着るのも決まりだ。
なんだか他の地域に比べて、だらしのない、しまりのない盆踊りだなと小学生のときから感じ、私はこの盆踊りが嫌いだった。
その隊列の後ろには2メートルの四方が木で作られた山車が見えた。
幼稚園児が書いたような下手くそな猿やうさぎ、私のふるさとでよく見かける動物がぎっしりと彫ってある。太鼓や笛を持った人たちが演奏している。
もちろん演奏者も全員、みかにゃの奇妙なお面を被っている。

私を眩しくさせた光はどうやら、山車の後ろからスポットライトのようなものが射しているようだった。
みかにゃ豊作音頭の集団は思ったよりも私に近い場所にいて、あと5メートルくらいの場所にまで迫っていた。
このままだとぶつかると思っていたとき、不思議なことが起きた。
先頭で踊っていた2列の隊列が見えない階段を一段ずつ登るように宙に浮いたのだ。
前の1列が浮いたかと思うと、後ろに続いていた2列もふわりと浮き、踊っていた隊列が全員浮いたかと思うと、なんと山車も見えないスロープを上るように宙に浮いた。
みかにゃ豊作音頭の集団は、私の頭の上を通り過ぎて行った。
私はただただ、あっけにその姿を眺めていた。
後ろを振り向くと、水平線の上が明るくなっていた。
月がすっぽりと雲に覆い被さっていたが、月がとても明るい夜だったので、月の強い光が雲の隙間を突いて、空が明るくなった。
みかにゃ豊作音頭の集団は、その雲に覆われた月に向かって行くようだった。

ええな ええな 子は宝ざ 宝ざだな
アソーレ、アソーレ、ホイ、ホイ、ホイのエッサ
お天道様は あっじな顔 星も月も あっじな顔
だけんにょ 子は 皆輝ぐ光がな
アソーレ、アソーレ……

「待ってーーーーーー!」
と気付くと私はみかにゃ豊作音頭の集団に向かって、大声で呼び掛けていた。
しかし、集団は私の声は届いていないのか、誰ひとり、こっちを向いてはくれない。
だらしなく手を上げ、怠そうに腕を振る。腰をくねくねとゆっくり動かしていた。その動きは全員が揃えようという気は全くなく、見ていて間抜けな盆踊りだった。
「待って、待って、行かないでーーーーー」
なぜ待ってほしいのか、なぜ行かないでほしいのか、理由なんて分からない。
私は10万円のドレスなんかお構いなしに波に入っていた。
みかにゃ豊作音頭の集団を、それくらい夢中で追いかけていた。
頭痛は嘘みたいに感じなくなっていた。
ともかく、みかにゃ豊作音頭の集団を追いかけなければ、何か取り返しのつかないことになる。
気がつくと、目からは涙が何粒もこぼれていた。
なぜ泣いているのか分からない。
腰の辺りにまで浸かったところで、私はやっと追いかけるのを諦めた。
そしてもう一度叫んだ。
「待って。置いてかないで!」

アチョイナ、アチョイナ、ヨーレ、ヨレ、ヨレ、ヨレ…

と私の言葉に返事をするようにそれだけが聞こえた。
どんなことをされても、どんなに嫌いでも、どんなに消したいものでも、それは大きな影のように永遠に、べったりと着いてくるものがあるのだと思った。
私は上京して6年、こんなに泣いたのは初めてだと思った。
無情にも、少しずつ、みかにゃ豊作音頭の集団は小さくなっている。
それはまるで雲に覆われた月に吸い込まれていくように。