お金の使い方
私は生活保護を受けている。
理由は双極性障害で満足な収入を得られないからだ。
もう一つは、両親は父親は歯科医をしていて、母親は家賃収入があり、実際の額も私は知っているのだが、私にお金を掛けたくない、お金をケチしたいみたいで、娘が生活保護を受けても何も言わなかったし、何も感じないみたいだ。
今日はお金をケチる話と私なりのお金の使い方。
生活保護を受けているので、収入と言っていいのかは分からないが、入ってくるお金は、生活がギリギリできる額だ。
しかし、私は今年は人脈や友だちを増やすという目標ができた。
人脈を増やすときに大事なのが、交際費。
私はお金がないという理由でやりたいことを我慢してきた。
でも最近になってよく思うのが、お金がないを言い訳にしていたら、チャンスを逃す。なって思えてきた。
よくよく考えると、恥ずかしい額ではあるが私には貯金がある。
シビアに計算すると、5か月は無収入でもやっていける額がある。
全くお金がないわけではない。
皆考えると思うが「もしものときの為の貯金」「老後の貯金」と思うのかもしれないが、意外にも私には「もしも」のときはやって来ないし、老後と言われても双極性障害のせいでもう充分底辺みたいな生活をしていて、老後も生きるつもりかよ、となんだかアホらしく思えてきた。
どうせ惨めな老後を過ごすなら、今を充実させたいという開き直りみたいな気持ちだ。
当たり前だけれど、イベントに参加するには交通費やら参加費が掛かる。
でもお金がないを言い訳に行かなかったら、もしかしたら私の人生を変えるような人に出会っていたのかもしれない。
そう思うと、そのイベントに掛けたお金は安いものというか、お金で買えない人脈を買った、というなんだかかなり変な日本語になってしまったがそう思うようになった。
だとしたら、行動しない理由はなに?
まして、私は今、人脈を広げるという目標があるから、なおさら強く思うのかもしれない。
こんなことも思い出した。
私は演劇の大学に行っていたときにそこの教授が言っていたのは
「借金してでも演劇は観ろ」
と言っていたのを思い出した。
これは私の解釈だが、演劇はこの時期にしかやっていないもので、再演はあるが、やはり出会いみたいなものがあるから、お金で買えないものがそこにはあるのだと言う意味のような気がした。
やはりこれも、お金で買えないものを買いなさいと言っているような気がした。
元カレの師匠という人曰く、
お金の使い方には3種類あって、(自己)投資、消費、浪費がある。
らしい。
私なりに解釈すると、浪費は無駄使い、消費は食べ物とか生きていく上で必要な
もの、投資は元カレ曰く自分に却ってくるもの。
今の自分にあてはめてみると、人脈を広げるための投資を今やるべきなのだと思った。
友だちは財産という言葉もあるように……あ、私、友だちいないや。笑
やはり人脈はお金で買えない。
だからこそ、私の人脈を広げるチャンスな出来事があったら、バンバンそこにお金を掛けたいと思った。
(以前ブログ)
そうすると、以前のブログでも書いたが、一緒にいて時間の無駄だなと思うやつは、ついでにお金の無駄、つまり浪費そのものになると思った。
ここはケチっていいところ。
色々スッキリできて素晴らしい。
時間もお金の使い方も一緒。
ここに掛けて自分の為になるかどうかだ。
損得勘定でいいじゃないか。
合理的な何が悪い。
たまに損しかしないけれど、この人に自分のお金や時間を掛けてみたいって、言葉じゃ説明できないことだってあるのだから許してよ。