がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

【短編小説】プライド

お母さん。
お父さん。
ごめんなさい。
今から自殺します。

なぁんて思わなかった。
自殺するのはほんとうだ。
だけど、ドラマみたいにこんな先立つ不幸をお許し下さい。なんてことは一切思わないのが不思議だ。
よく自殺志願者にはこう言う人がいる。
「君が死んだら悲しむ人がいるよ」
だから何だと言いたい。なんとか、ない想像力を使ってみても、みんなが悲しむ姿を見ても何も感じない。じゃあ私の遺影の前で泣けるんだったら、生きているうちに助けてくれよ。
本人がいなくなったのをいいことに泣くなんてずるいやつのやり方だ。

自殺したい理由?
五年付き合っていて、「結婚しよう」と婚約指輪とも取れるシルバーの彼の名前が入ったペアリングを貰い、私は幸せになるはずだった。
ところが、女の勘というか、最近彼がどうも怪しいと思い、悪いとは思いつつ、こっそりとスマホを見たら、女がいた。しかも、ひとりじゃなく、三股をされていた。
でも、婚約指輪を貰ったのだから、彼は女癖がちょっぴりひどいだけで、本命は私なんだ。そう信じ込むことに無理矢理した。
ところが、彼の浮気相手の女が妊娠してしまい、彼はできちゃった結婚をしてしまい、あっけなく私は捨てられた。幸せがあぶくのように消えていってしまった。
私はもう絶望を感じた。
彼のことは愛していた。幸せになれると思っていた。だけど、終わりが本当にあっけなくて、私の彼といた五年間はなんだったのだと思った。気付けばもう三十八歳。今から出会いを探すなんて余力は残ってはいない。
彼がそばにいてくれたから、私の毎日は潤い、生きがいだった。
もう、私には生きている意味がない。
感覚もどんどんおかしくなって、今まで感動したり、励ましてくれた音楽や映画を見ても、呆けた顔をして何も感じなくなっていた。
何も救いがない。どうあがいてもこの地獄からは抜け出せないと思った。
これが私の自殺したい理由。
あ、あともう一つあった。
きっと私が自殺したら、この報せは彼にも届くはずだから、自分がどれだけ酷いことをしたのか一生後悔させてやろうという気持ちになった。
もう、もはや死ぬことでしか彼を苦しめることができないと思った。

ここまで読んで馬鹿な理由と思った?
そうでしょうね、自分でもくだらないと思う。
たまに数秒で終わる自殺のニュースで彼氏に振られたからって自殺するなんて馬鹿で幼稚な考えのすることだと軽蔑していた。
ただ、今回はちがった。本当に喜怒哀楽が全て消えてしまった。
息をしているだけの廃人になってしまった。

インターネットで自殺の方法を調べ、どうやら首吊りが一番手軽で確実に死ぬことができるらしい。
私はテレビのコードを使い、今のアパートがロフト付きでそのベッドの手すりになっているところにコードをかけ、通販を注文したときに捨てずにいた段ボールを踏み台にすることにした。
さあ、今から死のう。
部屋の電気を静かに、いつもより丁寧にスイッチを消した。
カーテンは開いたままだ。
もう都会に住んでだいぶ経つが、満月があんなに丸くて大きなことに少し驚いてしまった。
こういうとき、満月の綺麗さに驚き、自殺を思い留まり、やめた。なんてドラマだったらある話なのだろうが、残念ながら私にはそういう救いはないみたいだ。
ここはアパートの三階だから、ベランダの窓を開けて自殺してもいいかな、とそんな気分になった。
私はベランダの窓を開ける。やっぱりいつもより静かに、丁寧に。
肉眼で見る満月は更に輝きを放ち、私を呑み込んでしまいそうに大きかった。
外は少し湿気た空気ではあるが、乾いた冷たい風が気持ち良かった。
ここから見える公園の桜はすっかり葉桜になり、夜のわりには緑が深く、静かに生きているっことが感じた。
さぁて、そろそろ逝きましょうかね。
ベランダから来る心地よい空気と風がなんだか私の背中を押して、ロフトの場所まで導いてくれる。
段ボールの上に乗り、電気コードに首をかける。あとは、この段ボールを思い切り、力強く蹴飛ばすだけ。
蹴飛ばすだけ。
蹴飛ばす……。
どういうわけか、蹴飛ばすことができない。
蹴飛ばせばもうこんな苦しい思いもしないし、今後身に起こる惨めで苦しい思いもしなくて済む。自殺したほうがいいに決まっている。
自殺したほうがいいメリットを一生懸命考えて、なんとか段ボールを蹴ろうと思うが、どうしてもその最後の一本ができない。
その瞬間がひゅーという音と共にカーテンが少し揺れた。
はっとなっって顔を見上げると満月と目が合った。
満月に目なんてあるはずもないのに、なぜかそのときの気持ちはこの表現が私の中でぴったりと来るのだ。
じゃあ、満月に目があったとしたら、どんな表情をしていたかというとそれはうまく言えない。無表情と言ったところだろうか。
私はヨロヨロとしながら、首に絡まった電気コードをほどき、丁寧に段ボールから降りた。
床にしばらく座り込み、ひたすら満月に自分の今の姿を見られるがままにした。

どのくらい時間が経ったのだろう。

ぼんやりと考えたけれど、たぶん私は死にたくないのだと思った。
死ぬ勇気がないと言うべきか。
死ぬ根性がないのだろう。
でも、死ぬ勇気がないのなら、生きる勇気もない。
いや、生きたいのだろうか?だとしたら、生きたい理由がやっぱり分からない。

ここまで考えてはみたが結局結論は出なかった。
そのうちに私のからだはこんなときでも空腹を伝える音が鳴り、冷蔵庫には何もないことを思い出し、近くのコンビニに行くことにした。
お腹がいっぱいになったら、何か結論が出るかもしれない。
私はジャージのズボンにヨレヨレのTシャツ姿で、化粧もせずに髪もぐちゃぐちゃだったが、気にせずに出掛けることにした。
アパートの階段を降り、公園を抜けて、横断歩道を渡ったところにコンビニがある。
横断歩道歩道で赤信号で止まる前までずっと歩いてはいたが、やはり満月が無表情でこちらを見つめていた。
信号が青になった。
そのときに私のスマホが鳴り、何かと思い、立ち止まりスマホを見た。
前、通販で買った店からのメルマガだった。

と思ったら、急ブレーキを踏む大きな爆発音にも似た音がした。
私は思わずしゃがみこんだ。
「大変だ!」という男の大きな声で思わずつぶっていた目を開けた。
恐る恐る見ると、横断歩道歩道の横の白線のど真ん中で、トラックがサインをチカチカしたまま停まっていた。
トラックの前輪には、たぶん私と同じくらいの歳の女の人が倒れていた。
その頭からは血がどくどくと流れはじめ、目を閉じた顔から肩にかけて黒い車輪の跡がくっりと残っていた。
「事故だ!」と大勢の人がトラックや女の人の周りに集まりだした。
私はただそれを呆然と見つめているだけだった。
もし、あのタイミングでスマホが鳴らなかったら、信号が青になっても立ち止まらなかったら、どうなっていたのだろうと、恐怖や死への憧れはなく、ただそれを考えていた。

そうか、恐いのは死ぬことじゃない。
死にたいと思うことが一番恐いことなんだ。

今、目の前で自分が死んでしまったかもしれないという恐怖感はなかった。
どんなに気をつけても死ぬときは死ぬんだ。
それを恐れては生活やましてや生きることなんてできない。
死ぬことの恐怖は無駄だ。
何も感じず、救いも全くなく、逃げることもできず、絶望の果てに追いやられて、死にたいという気持ちに取り憑かれることが、死ぬことよりも、トラックで轢かれてあっけなく死ぬことよりも、地獄で悲惨なものだ。

見上げると満月はいつもの満月に戻っていた。
目も表情もなくなっていた。
遠くで屈強そうな男の人が轢かれた女の人に人工マッサージをしていた。
やがて辺りは夜の闇から救急車の赤いランプに染まっていった。