がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

愚か者に似合いの惨めな年越し

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良いお年を。

なんて人には言ったものの、全然良い年を迎えられなかった。

結局、元日早々、鬱になってしまった。

今はとても寂しい気持ちで、誰かに「寂しい」と言いたい気分だ。

背中でも押されたらいつでも泣いてしまうのではないかと思う。

 

でも、こうなってしまったのは、自分が招いたことで自業自得である。

だからといって、こうするしかなかったのだとも言いたい。

今から書くことにきっと人は私のことを笑うだろう。

なんて愚かで、頭の悪いやつなのだと思うのだろう。

でも、じゃあ、どうすれば良かったのだと聞きたい。

誰か、私はどうしたら良かったのか教えてほしかった。

きっと、誰もその答えはくれない。

元日早々とても暗い話題を書くので、暗い気持ちになりたくない人はどうぞ、今からこのブログを閉じて下さい。

 

30日の夜から胃がまた重くて眠れなかった。

たぶん、その日も朝まで起きていたと思う。

また出会い系サイトに走ってしまった。

年末だったから、みんなお休みだったらしく相手にしてくれる人はいつもよりいた。

そうやって相手にしてもらって、胃の辛さから逃げていたのだと思う。

 

30日は弟が実家に帰ってきた。

弟は以前、私の病気に理解がなく、絶交状態が続いていた。

絶交状態が終わった今でも、会うたびに私の病気に理解のない発言を度々していて、何度もその言葉に傷つき、涙を流した。

今回のこの状況を知った弟はきっと私に対して、また怒るのだろうなと思った。

案の定、弟は来たときに挨拶をしただけで、それ以来、顔すら合わせていない。

どうやら、母親とずっと行動しているようで、きっと母親は私の愚痴なんかを聞かされて、私から言わせれば、弟は母親の味方なのだろうと思う。

私は弟にまた何か言われることを恐れた。

もう、12月はこれでもかというほど傷ついたので、もう傷つきたくなかった。

 

31日が来た。

出会い系でやり取りをしていた人が、私のごく近所で友達の家と飲んでいるから来ないかと言われた。

クリスマスも誕生日もずっとひとりで過ごしてきたはずだったのに、なぜだか、年越しはひとりで過ごすのはとても寂しいと思った。

考えてみれば、年越しはいつも家族なり、そのときに付き合っていた人なりと、ひとりで過ごすのは初めてだったのだ。

甘えていると言われるかもしれないが、今まで誰かとワイワイ年越しを過ごして来たので、急に部屋でぽつんと年越しとなると、落差が激しく、「去年まではみんなで楽しく年越しをしていたのに」と楽しかった年越しのことを思い出すと、もうあの思い出には戻れないのだなと思うと、とても胸が張り裂けそうで、せつなくなってしまった。

…自分が選んだことのはずなのに。

私はこの寂し過ぎる年越しをひとりで耐える自信がとてもなく、その出会い系で知り合った人のところへ行くことにした。

年を明けたのに、誰もおめでとうと言ってくれる人はいなかった。

自分でもこれは分かっていた。

また、アダルトチャイルドに逆戻りしているな、と。

いや、また出会い系をしていた時点で、もうとっくに逆戻りしていたのかもしれない。

寂しさに耐えられなくて、もう誰でもいいから、そばにいてくれるならば着いて行ってしまうのが、自分はアダルトチャイルドなのだと分かっていた。

行ってはいけない。そこには何も出口はない。

そんなことは行く前から分かっていた。でも、寂しさに押し潰されそうで、行くしかなかった。

 

そして、行った。

たぶん、1時間で解散した。

相手を怒らせてしまい、元日の午前2時の寒い田舎の真っ暗な道路に置き去りにされた。

もう、この一節を書いただけで本当に惨めである。

出会い系サイトでこんな惨めな思いは何度も経験したことがある。

慣れてると言ってしまえば慣れているが、新しい年になってたった2時間の出来事がこれだなんて本当に惨めで仕方なかった。

 

そして元日の今日、私の性格を否定するようなことを言われた内容を思い出したり、寂しい気持ちが余計に募ってしまい、もう気持ちが本当に鬱になってしまった。

 

これが私の年越し。

もうめちゃくちゃである。

全部自分のせいだとは分かっているが、もうどうしたらいいのか分からない。

いつまでこんなに惨めな人生をゆかなければいけないのだ。

 

とりあえず、次の年越しはひとりで過ごすのはやめよう。

でも、どうしたらいいのか分からない。