がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

深海の孤独 〜九月十九日までのこと1

昨日は久しぶりにお風呂の掃除をして、足元が冷えると感じたので、湯船にも入った。
好きなアロマをお風呂で炊いて、良い香りに包まれながら、のんびりと幸せな時間を過ごすことができた。
今朝はパンを焼いてコーヒーとヨーグルトを食べ、カリカリに焼けたトーストをかじって幸せな気分にすらなった。
お昼頃にお腹が空いて、最近好きになったパクチーをたくさん入れたフォーを食べ、少し麺が固かったな、米麺は水で冷やすのは良くないのだなと、料理を美味しくすることに向上心が溢れる自分がいる。
そんな誰にでもあるありふれた日常。

昨日の夕方までは私は死んでいた。
もう何度も自殺をしようと思っていたが、結局怖くなってやめてしまったことがあるから、きっとこの先は自殺はしないと思うし、悟ったと言ってもいいほどだ。
でも気付けば、真っ暗な部屋の中で、ケータイだけのやけに明るい光に照らされた私の顔はきっと死んでいた。
ケータイの画面には自殺する方法のサイト…
私は先週の金曜日からケータイの電源を切り、テレビを見るかネットをしていた。
今思えば興味のないことばかりをテレビかネットで見ていたと思う。
こんな自分はおかしいと思っていた。無駄な時間であること他ならない。
でも、それを止めてしまっては、現実に引き戻されてしまう。現実は考えたくない。
画面の向こうの世界にひたすら現実逃避をしていた。
体はひたすら怠く、鬱のときによくあるシャワーも、二日に一度入れれば良い方だ。
自分から異臭がする。髪もベタベタしている。
ともかく全てが面倒だった。なんなら、息をすることでさえも…。
ご飯を作る気すら起きない。辛うじてお湯を沸かしてただ注ぐだけのカップ麺をずっと食べていた。
肌がどんどん荒れていく。でも、もういいかと思えてきた。
「どうせ、私はいっしょうこのままなのだ…」
一生ひきこもりでいいやと思った。
何もかもうまくいかない。そんなことはみんな言う。
でも、私のはその辺の人たちとはちがうのだ。私ばかりが苦しい。
もう病気になって十年、最初は自分が病気と分かっても持ち前の明るさで、病気に負けない、病気に打ち勝つんだと思った。
でも、十年ずっと失敗して立ち上がってまた失敗のくりかえし。
私はこの十年、成功したと思ったことはあるのだろうか。
あなたは十年も何ひとつ成功していない人生だったらどうしますか?
風俗をして、詐欺に騙されて自己破産して、その挙句に生活保護
こんなはずじゃなかった。私からすれば、社会の底辺三セットが揃ってしまった。こんなこととても人に言えないし、誰も理解なんかしてくれない。少なくとも、病気になっていなかったら、こんな社会の底辺なんかは経験しないで済んだ。自分の存在が恥ずかしい。消えてしまいたいくらいだ。

もう、頑張ろうという気持ちがなくなってしまった。
もう頑張りたくない。
なんとか気持ちがまた前向きになって頑張ろうとしてもどうせ裏切る。
テレビから流れる「頑張って」「前向きに生きようよ」とメロディーと共に流れる歌詞が本当に嫌だった。
それは私みたいに病気じゃない人に向けた言葉だ。
じゃあ、誰か私みたいに病気の人にも誰か言葉をかけてよ。
誰もそんな言葉は掛けない。
世間だって、家族だって、友達さえも。
自分の病気のことは周りには話しているほうだと思う。
でもその度にかけてもらう言葉が病気を理解していないし、逆に私を傷付けた。
だから、自分から友だちを遠ざけてしまった。今は友だちと呼べる人はひとりもいない。
これも病気なんかになっていなければ、こんな耐えがたい孤独を感じることなんてなかったのに。

そんなふうに悲観的になってしまったきっかけがあった。

たった一週間の出来事を書いていこうと思います。
でも、長くなってしまいそうなので、ひとまずこれで終わりにしたいと思います。