がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

迎えの日 〜九月十九日までのこと3

私の母親はとても過保護だ。
連絡もなく一人暮らしの家に来る。
はっきり言って私はそんな母親が嫌いだ。
「あなたのため」といかにも母親らしいことを言うが、いざとなると助けてはくれない。
要するに、母親面したいだけなのである。
私の住んでいる場所が田舎のせいだろうか。
私はアパートの一階に住んでいるのだが、ベランダまでとても簡単に行けてしまうという、防犯上いかがな造りになっている。
玄関のチャイムを鳴らして私が応答しないと、母親はさも当たり前のようにベランダに侵入して窓をドンドン叩く。
これはよくある、母親が子供の部屋にノックもせずに勝手に入ってくるのよりタチが悪いと思う。
ケータイの電源を切って三日目ぐらいにきっとまたアパートに来ると思った。
自分でも不思議だと思うのが、精神病を患っていて、わけがわからなくなり混乱することはしょっちゅうあるのに、やけに冷静にその先のことを考えてしまうことがある。
私の大好きだった佐藤先生曰く、その冷静さがあるのが双極性障害とも言っていた。
きっと、母親か父親が来る—————-
たぶん最初は心配して欲しくてやったような部分がある。
俗に言う構ってちゃんというめんどうくさいやつだ。
私はアダルトチャイルドでもあるので、小さい時に親からの愛情を充分に受け取ったと感じていないせいで、大人になってから過剰に他人から必要と認識したい欲求が人よりは多かったと思う。
でも、しばらく経って、もし今、両親がアパートを訪ねて来たら、きっと怒られる。どんな顔をしていいのか分からない、きっと自分の状況やしてほしいことなんてうまく言えない。精神が正常なときですらうまく伝わらないのに、こんな状態ではなおさら伝えることなんてできない。もう、人と会うことですら怖くなってしまっている自分がいた。

両親がアパートを訪ねてくるかもしれないと感じた私は、母親が合鍵を持っていたので玄関のドアにいつもはしないチェーンをして、ベランダから入って来てもいいように、涼しい秋の風を拒むように常に窓には鍵をかけ、柔らかい日差しを遮断するようにカーテンを昼でもぴたっと閉めた。

そして、月曜日の祝日の日に、コンビニで買った美味しいのか不味いのか分からないラーメンを食べている途中だった。轟くようにチャイムが鳴る。
私は一瞬固まった。そしてすぐに分かった。
付けていたテレビをすぐに消し、玄関はチェーンが掛かっていることを確認した。

何度も何度もチャイムは鳴る。
私はもう一度窓にしっかり鍵が掛かっているか確認し、カーテンも外からは中の様子が分からないようにぴたっと閉まっているか確認した。
そのうちに、「おねぇ!おねぇ!」と聞いたことのある声だった。
紛れもなく父親の声だった。
私は郵便受けから覗かれても見えない死角の場所で膝を抱えて座った。できることなら、呼吸すらしたくなかった。
ガチャガチャと音がする。
「おねぇ!おねぇ!」と父親の声は更に鮮明で大きくなった。
合鍵で入ろうとしてチェーンのせいで入れなかったのか、郵便受けから叫んでいるのか、それは分からなかった。
私はただただ怯えるだけで、早く去ってくれとひたすら願った。
どのくらい経ったのだろう。たぶん五分も経ってはいなかったと思う。
聴覚が優れている私は、足音がベランダの方へ向かっているのがすぐに分かった。
南向きで丘の上に建っている私のアパートは、窓からは遠くの街の景色がよく見えるほど開放的だった。その日も陽はさんさんと降り注いでいた。
陽に照らされたカーテンの向こうから、見慣れない影が現れた。
父親だと思う。その影はしばらく立ったあと、屈んでいた。
たぶんカーテンの下に少し隙間があって、そこから中を覗けるかもしれないと思ったのかもしれない。
何も中の様子が見えないと分かったのか、その影はゆっくり消えて行った。
そして、声は一切聞こえることはなく、しーんといつもの自分の部屋の音になった。
私は何が起きたかのか分からず、まだ死角の場所からじっと動けずにいた。
相変わらず、息すらもしていたくなかった。
また、しばらくして、どのくらい経ったのだろうか?私は足音を立てずにそっと、少しずつ玄関へとゆっくり歩いた。
恐る恐る玄関のドアの覗き穴を覗く。
そこには誰もおらず、いつもの日常の風景だった。
そこでやっと父親は帰ったと分かった。分かってはいたが、そこで油断をしていたらどこかから突然現れるのではないかとさえ思ってしまい、安心などは一切していなかった。
私はベッドの上に座りぼんやりとしていた。色んなことを考えていた気がする。でも、今になってどんなことを考えていたのかはあまり思い出せないでいた。
何も安心せず、頭の中は色々なことを考え過ぎていて、気が付けば二時間が経っていた。
また、チャイムが鳴り響いた。
カーテンはしっかり閉まっているのだから、ベッドの上にいても見つからないはずなのに、私はまた死角の場所へ逃げた。
「お、ね、え!」
なんだか他人が聞いたらふざけて言っているかのような独特な父親の声が聞こえた。
その声で少し笑ってしまった自分がいた。
二回目の訪問はすぐに帰ったと思う。実際にそうだったのか、私の感覚がそんなふうに感じたのかは分からない。

それから父親は来なくなった。
父親が帰ってから、得体の知れない恐怖で頭がいっぱいだったが、時間が経つにつれて、私はこう思うようになった。

「ああ、現実が迎えに来た」

それから私は何をしていたのだろう…。
まず、自分の病気である双極性障害についてもう一度ネットで片っ端から調べたと思う。もうネットに載っている情報はとっくの昔から知っていたことなのにもう一度それを読む。そして気付くと夜になっていて、真っ暗な闇の部屋に私は飲み込まれていた。そのとき少し怖いと思ったが、電気をつける気にもなれず、窓を開けてぼんやりと夜空を眺めていた。現実のお迎えに少しずつ受け入れていこうか立ち止まっている自分がいる。でも、それを受け入れるという覚悟は決まっていない。でも拒否はしていない自分がいた。現実が迎えに来たことによって、考えるのが苦しくなり、現実逃避をするためにネットに逃げる。でも、昨日とは明らかにちがっていて、時間を忘れるというより時間から逃げるようにネットはできなくなった。なんだか、ネットの世界にのめりこめない自分がいた。
そしてまた、夜空を見上げる。あのときは星は見えていたのだろうか?
それから何を急に思ったのか、家族を自殺で亡くしてしまった人たちを自死遺族と言うのだが、そういう人たちが書き込みをする掲示板をずっと見ていた。
前にも書いたが、私は死にはしたいが、どういうわけか実行には移せない
そのときは時間から逃げるのではなく、時間を忘れて無我夢中で読んでいたと思う。
そこには気付いてあげなかったことの後悔。
いなくなってしまった孤独感。
中には散々家族に迷惑をかけたのだから死んでくれて正直ほっとした。
なんでそんなに悲しむのだったら、生きているうちに分かってあげなかったの?
ネットだから綺麗で美しい話ばかりではない。世間は汚いと言うが
でもやはりそれも人間の本質であったりする部分。
色んな人の人生や考えを少し垣間見たような気持ちになった。
なぜ不謹慎にも自死遺族の掲示板をあんなに夢中になって見ていたのだろう?
とても怖いとは思ったが父親の訪問で、自殺する気はないが、もし私が自殺をしてしまったら、きっとこの掲示板の人たちと同じような気持ちに父親がなりそうな気がしてきた。
病気で良い子どころか、社会生活を送るどころか、迷惑しか掛けず、誰からも必要とされていなと強く感じていた自分だったが、でもやはり同じ気持ちになるのだろうか?……なってくれたらうれしいな。

次の日、私は起きてすぐにケータイの電源を入れた。
そして、着信しても一切音が鳴らないサイレントモードにした。
音が鳴らないのならバイブレーションで着信を知らせるマナーモードもあるが、ともかく聴覚がいつもより過敏になっていて、ケータイが鳴ってしまうとどうしていいか怯え、混乱してしまう自分が目に見えていたので、サイレントモードにした。
少しずつ、現実を迎える準備をしはじめたのだと思う。