がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

口に出す魔法 〜九月十九日までのこと おわり

現実を迎え入れる準備、と言いつつ、誰にも邪魔されない一人暮らしの空間がまた、父親の訪問によって不自由な監獄のような空間になるのを恐れていた部分はある。
だから、ケータイの電源を入れた部分もある。
なんだか情けないことのように思えるかもしれないが、でも、本当に鬱の深い部分だったら思考は停止状態なので、どうすることもできず、起こる出来事を心は受け止めきれず、ただただ身体が、肌が感じる部分であったのだと思う。

実家とは違い誰にも邪魔されることがないひとりの空間がなくなってしまうのなら、とりあえず父親に無事でいるということを伝えればアパートに来ることはないと思っていた。
次の日にまた、父親から連絡が来た。
でもやはり、電話に出る勇気はなかった。
そして仕事のことが起きてから八日後のことだった。
父親が私のアパートに来てから、二日経ったことだった。
夕方にまた父親から連絡があった。

この二日間で、私はずっと自分は何をしているのだろう、どうしてこういうことになってしまったのだろうと思った。
父親がアパートを訪ねて来るまでは考えられなかったことで、そんな最低な自分の状況を考えるのはとても辛かった。ストレスで全身が痒くなり、眠れないほどだった。何も考えずにぼーっと一日が過ぎる方が正直楽ではあった。現実と向き合うのは苦しい。でも、私は考え続ける。理由ははっきりと分からない。でも、もしかしたら楽しく生きてみようと思えてきたのかもしれない。十年、なにひとつ良いことがなくて、失敗しかしなかったけれど。

私は着信を知らせる表示をしばらくぼんやりと見つめ、思い切って画面に映る受信の表示を親指でスライドした。
「もしもし?」
何を話したのだろう。細かくは覚えていない。
ただ、どんなに苦しくても愚痴を言わないはずの私はこの八日間考えていることを全部ではないが、自分でもびっくりするほど話したと思う。
今までの自分だったら、大したことがないように見せかけ、嘘をついていたと思う。
そして、頑張ることにことに疲れたことはしっかっりと伝えることができたと思う。
それを聞いた父親は、
「かわいそうに、かわいそうに。どうしてそうなっちゃったんだろうね」
と何度も言ってくれた。
そう、私はこの誰にも理解されず、ひたすら無視され続けていた気持ちを見つけてほしかったのだ。
やっと、私の苦しみを十年も誰も理解してくれなかったことを理解してくれてうれしかった。
そして、父親は最後にこう言った
「明日、ご飯食べに行こうよ。明日お誕生日なんだ。七十歳になるの。鰻を食べに行こうよ」
ただ、全身が痒くて少し動くのも辛い私はお出掛けができるか自信がなかった。
それを伝えると、
「じゃあ、だめならだめでいいよ。でもおねぇ、明日は行くって言ってみて。実際に明日は来なくてもいいから」
何かの本で読んだことがあるが、実際に口に、声に出して言ってみるとそれができるということを何かで読んだことがある。果たして父親はそれを知っていたのだろうか?
私は泣きながら、「明日行く」と言った。
父親はそれを聞いて安心したように、
「じゃあ、また、あした」
と言っていつものように一方的に電話は切れた。
また、あした。
明日なんてしばらく考えていなかった。そして、私の病気に無関心で乱暴な言葉ばかり言う父親がここまで寄り添おうとしている姿にうれしかった。
どのくらい嬉しかったのかと言うと、一気に躁状態になってしまった。
でも、これは二日ぐらいで治り、これを書いている今はニュートラルな状態だと思う。

さて、明日は鰻だ。
迎えに来たのは現実だけではなかったようだ。