戦争とメンヘラ
最近、取り憑かれたように井上靖を読んでいる。
現代の今では、戦争は良くないもの、繰り返してふぃけないものとある。
その意見に別に文句があるわけではない。
ただ、三島由紀夫や安岡章太郎と、どうも中学生ぐらいしかから戦争体験した作家が好きなようだ。
戦争体験した人の小説に何か私を引き込むものがあるのか、それともたまたまなのか、私の祖父も大正六年生まれだから、なんとなくその時代あたりに生まれた作家に親近感を持っているのか、理由はよく分からない。
とにかく、その時代より前でもないし、その時代より後でもない。
明治末期から大正生まれの作家ばかりが好きになる。
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昨日のブログでも書いたように、一昨日の夜は死ぬことばかりを考えていた。
それは何度も思ったことなのだが、最近はこうしてブログを積極的に書くことを心がけていたら、一日、一日を丁寧に振り返ることができるようになった気がする。
……とは書いてはみたものの、特に何かすごい進化をしたわけでも、双極性障害が軽くなるなど、何もなく、ほとんど自分の気持ち問題と言っていい。
前おきがとても長くなってしまったが、昨日、実家へと向かう電車の中で、なんだか活字を読みたい気分になり、iPadに入っていた安岡章太郎の文士の友情を読んでいた。
で、ここで安岡氏は、吉行淳之介の小説を引用していた。
その引用がやけに、自殺をしようと一昨日の夜、思い悩んでいた現代の私に生きる心に妙に刺さったので、紹介していきたいと思う。
愕然として僕は、跳ね起きた。
いまはすでに八月十二日になっているではないか。原子爆弾が落とされる日になっているではないか。消息通の話を、僕は完全に信じていなかった。しかし、この警報の発令の仕方も、アナウンサーの警報も、近づいてくる一機の爆撃機が原子爆弾を積んでいるという考えの上に立っているものであることは確かと思えるのだ。
死ぬことに関しては、僕は諦めているつもりだった。諦めるにはいかぬ情勢だった。しかし、生から死への境目を越える瞬間のことを考えると、僕は奇妙な怯えを感じるのだ。
戦争という事態と、平和と言える今の精神状態を比べてしまうのはおかしいと、不謹慎だと言われるかもしれない。
ただ、戦争体験をした作家の小説の中には当たり前のように、よく戦争の物語が出てくる。
彼らは戦争を出したことで、戦争反対などというメッセージはないように思える。
戦争は彼らが経験した当たり前だった日常だったから、その日常を小説の題材にしたと私は解釈している。
不思議なのが、戦争という非常事態と、双極性障害という精神障害が、共感できる部分があったということである。
私は今は長く生きたいとは思っていない。
もし明日、命が終わってしまっても、焦りはするだろうが、なんとなく受け入れてしまう自分がいる。
双極性障害になって何度も地獄を味わってしまい、治るものだと言われても、十年もずっとこのままでいつ治るのか、本当に治るのか分からない状況で、ずっと躁と鬱を行き来する人生ならば終わってしまってもいいと思っている。
本当は今すぐにでも死ねるものならば死んでもいいが、このブログで何度も書いているように私には自殺する勇気がない。
そう、私が自殺をする勇気がないと感じているのは、死への境目を越える瞬間のことを考えているからだと思った。
私の解釈は飛躍していて非難されるものかもしれない。
ただ、確かなものは、この死にたいのに自殺できない勇気がないことを、この一節が代弁してくれたような気持ちになった。
こうもある。
二十歳の肉体の中では十分には死を飼い馴らすことが出来ていなかったことを、僕はそのとき知った。
もしかしたら、三十代の私の肉体はどこか本能的に生きたいと思っていて、だから、自殺することを思い留まっているのかもしれない。
でも、逆の考えをすれば、もっと歳を取ってしまったら、死への恐怖は薄らいでいくのかもしれないと恐ろしいことを考えてしまう。
もしかしたら、戦争という非常事態における精神状態は、自殺の危険性もある精神障害や病気と似ているのかもしれない。
空は今日も青く、12月らしい澄んだ青さだった。
ただ空にはおびただしい数の爆撃機がないだけで、変わっていないものはないのかもしれない。