がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

再燃。それとも?

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母親と話すだけで過呼吸を起こすと、前にもこのブログで書いたのだが、ロクに母親とも話せないので、手紙を書いた。

内容は、この家を出て行ってほしい。

実家で父親とふたりで暮らしたいといった内容だ。

手紙は長くはなってしまったが、細かく自分の心情を書いたつもりだったが、返ってきた母親からの手紙はまるで、トンチンカンな内容だった。

 

今日はそのことを書くのではなく、私の文学熱の話。

その手紙を書いているときに父親はそばにいた。

私が手紙を書く行為に父親はひどくびっくりしていたのである。

「作文が好きなのか?」

と言われた。

こんな長文のブログを書いているのだから、作文、文を書くことはもちろん好きに決まっている。

私はそのとき、鬱で激しい濁流になんとかしがみついている気分だったのにもかかわらず、好きと言った。

小説を書いていること、脚本を書いていることを話した。

 

私は大学は演劇の演技を専攻していた。

双極性障害になってしまって、役者になることを諦めてはしまったけれど、学校を中退して10年以上経っているが、何かを表現したい気持ちは変わらずにいる。

ここは自分でも諦めが良いのだが、役者にはなれなかったけれど、作家になれば、自分を表現したいという欲は叶えられるし、ただその方法が役者から作家へとなっただけだと自分で納得をしている。

作家ならば、双極性障害の身体でも、自分のペースでやってこれると思っていた。

その気持ちがあるからか、くだらないプライドかもしれないが、

「職業は?」

と聞かれると、「歯科助手」と答えはするが、そのプライドが私に囁き、

「作家も目指しています!」

と答えている。

が、しかし、作家への道なんて甘いものではなかった。

ともかく、全然書けていない。

この10年、小説でも脚本でも、いくつ書いただろうか?

たぶん片手に収まるくらいだと思う。

言い訳をするならば、サボっていたわけではなく、双極性障害のせいで、生きるだけで精一杯で、とても文章に向き合う余裕なんてなかったのだ。

ハイ、言い訳終わり。

 

父親に実はとある文学賞を狙っている話をした。

この文学賞を知ったのは2年前で、話の構想もだいたいできている。

あとは書くだけといった具合である。

しかし、先程にも書いたように、私は生きるだけで精一杯だったので、書き始めてはいるが、完成

までには程遠く、2年連続でこの賞に応募できなかった。

来年こそは応募したいのだが、この賞が向こうの都合でなくなってしまわないか心配である。

とある賞を狙っている話は、初めて人に話した。

 

応募しようと思っているくせに、2年連続で応募していないのは、これまた私のプライドが許さず、人に話すのが恥ずかしかったのだと思う。

でも、私の状態を知っている父親ならなんとなく理解してくれるようなきがして話せたのだと思う。

構想もできていたので、恥ずかしかったので細かい内容までは話はしなかったが、話した。

もちろん、こんなことを人に話したのも初めてであった。

父親は私が作文が得意なことにえらく感動していた。

父親は読書が大好きであるが、自分が書くとなると、とても苦手らしい。

私の小説を読みたいとまで言ってくれた。

読書が好きな父親にはぜひ読んで欲しいと思った。

ただ、内容が……。

もちろん、たくさんの人に私の小説を読んでは欲しい気持ちは恐ろしくあるが、一番身近な父親に私の小説を読んでもらうなんて、日記帳を読まれるのと一緒だ。

……なんて言いつつ、後で小説をプリントアウトしに、コンビニへ行くつもりだが。

 

最近はともかくこのブログを使って、文章を書くトレーニングをしようと考えている。

読書も少しずつだが、できている。

他人から見れば、本当に小さな一歩だし、どうなるのか分からない、とんでもない小舟が、これまたとてつもない大きな荒海に飛び込もうとしている。

ただ、このことがきっかけでまた、なにか、どこか、分からない場所に一歩進もうとしている。

 

それにしても、私の小説のネタをなんだか父親は色々考えていて、その顔がとても嬉しそうで、楽しそうだったなぁ。