がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

ボロ布

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鬱があまりにも酷く、塞ぎ込む気持ちがずっと続いていたので、一人暮らしの家に来た。

12月にこの家をどうするか散々悩み、でも頭のどこかでもうこの家は手放そうと思っていたのに、結局手放せずにいた!

やはり、この家は手放さないほうがいいのかもしれない…。

 

そんな中、洗濯をした。

洗ったものを室内に干して、そろそろ乾いた頃だと思い、ピンチにぶら下がっている洗濯物を見たときに自分でびっくりしてしまった。

なんてボロ布を私は身につけているのだろうと思った。

布巾、靴下、下着、ヒートテック…どれもヨレヨレでボロボロだった。

毛玉だらけで、洗い立てなのに手垢だらけのような気さえしてくる。

気が付いていないだけで、買ったときよりもはるかに変色しているかもしれない。

全く着るもの、いや、布という布に対して無頓着な自分にびっくりしてしまった。

無頓着なのだろうか?

そのくせ、服や下着を何度も実家と一人暮らしの家へと大量に何度も行き来していた。

電車に大きな紙袋を2つぶら下げて乗っている自分の姿は、我ながら他人が見ても異様な光景だと思う。

家出とか、ただごとではない光景に見えているはずだ…。

なんで自分はこんなボロ布たちを大事に扱っているのかが分からない。

大事すぎて、ボロボロになったことに気づいていないのかもしれない。

 

ともかく、慌てて下着を全部買いなおすことにした。

なぜこんなボロボロの、果たして下着の役割をしているかも疑わしい下着を捨てずにいた自分がもはや理解できない。

私は自分ではいらない服は躊躇なく捨てるほうだと思っていた。

でも、それは勘違いだったようだ。

そうなると、私には捨てるものが後から後へとあるような気がする。

捨てるという地獄がどこまでも続いているような気がした。

そして、毛玉だらけの色あせたヒートテックを買いなおした。

1回だけ履いてすぐに夥しい毛玉だらけになった部屋着用のズボンも買い直すことにした。

 

私は捨て続ける行為に疲れた。そして補充する行為も疲れる。

だったら、ボロ布のままでいればいいとも思うが、それはあまりにも自分がみすぼらしい気がする。

毎日自分に劣等感や焦りを感じ続けているから、どこかに気持ちの良いものを求めているから、みすぼらしい自分を認識したくないからだと思う。

だけど、捨て続け補充し続けることもまた、どこか私の心の余裕を失くしている。

最近は双極性障害のせいかどうかは分からないが、やけに刺激に過敏に反応し過ぎている自分を感じる。

おだやかに暮らしたいという願いのために、騒がしく疲れる毎日を送っている。