がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

良いほうの現実逃避

11月から続いていた鬱がまだ続いている。

11月に新しい病院に行き、私の双極性障害が1週間以内に躁と鬱が交互に入れ替わるとんだラピッドサイクルということで、デパケンが追加された。

なんとなく、ラピッドサイクルというものは良くない気がしていたが、3か月も鬱が続くという経験が初めてなので、やはりラピッドサイクルに戻りたいという気持ちになってしまう。

先生はデパケンにより、躁と鬱の波がなだらかになるとは言っていたが、相変わらず、この先どうなってしまうのかが全く読めずに不安である。

 

ところで、2月に入ってから、眠るのが朝の6時以降になってしまった。

昼夜がすっかり逆転してしまった。

これではいけないと、夜、なんとか眠ろうとするのだが全く眠れない。

その割には、身体は一日中怠く、何もする気が起きない。

双極性障害になって10年、まだ社会生活に早く戻らなくてはという焦りがある。

今の私は社会生活どころか、日常生活すらしっかりできていないと痛感しているから、尚更焦ってしまう。

我ながらこの焦りをなんとか取り除くことはできないものかといつも考えてはみるのだが、どうやって取り除くのかもはや分からない。

たぶん、アダルトチャイルドの優等生を引きずっているのも原因だと自分でも思う。

ともかく、2月に入ってからはこんな自分にひどく自己嫌悪していた。

SNSで他人の日常を見るのも嫌になってしまった。

そこには、本人には満たされない日常なのかもしれないが、私にとっては魅力的な日常で、嫉妬やら羨望やらで、頭が狂ってしまうのではないかと思った。

だからと言って、自分が鬱だとは自覚しつつ、睡眠時間が平均7時間なので、いつまでも寝て逃げるわけにはいかない。

起きている17時間を何とかして時間を潰さなくていけないという考えになった。

昔は、非生産的な時間をえらく嫌っていて、時間があるからには有意義な時間を過ごしたかったものだが、双極性障害になると人間の思想はここまで落ちぶれるものだと思った。

そこで、私は現実から逃れるように読書をした。

エッセイを読むのも好きだが、エッセイだとその作家の日常がやはり垣間見れてしまうので、小説を読むことにした。

小説も幸せな明るい話ではなくて、安岡章太郎三島由紀夫の、どこか主人公がいつも塞がっているものを読んでいた。 

 

海辺の光景 (新潮文庫)

海辺の光景 (新潮文庫)

 

 

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

 

幕が下りてから (講談社文芸文庫)

幕が下りてから (講談社文芸文庫)

 

 

今の自分にぴったりな物語りを読むことで、自分のやりきれなくて、孤独で、さびしい現実から逃げることに成功できた気がする。

現実から逃げるために、私は久しぶりにたくさんの小説本を買った。

そのうちに小説を読むことが唯一の楽しみになり、なんなら、このままの生活でもいいかと思い始めた。

たくさんの小説を読み、また少しずつ、文章を書きたい気持ちになってきた。

このままの生活でもいいし、ちっとも寂しくない。

 

そう開き直りの気持ちになったときに、なんとなく、ずっと靄がかかってきた気持ちが晴れてきた。

 

開き直りの気持ちができたからメンタルが元気になったのか、

メンタルが元気になったから開き直りの気持ちが生まれたのか、よくは分からない。

 

とりあえず、小説を読むというとても良い現実逃避ができたのはとても救いである。