がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

躁に何種類かある

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新年を全く感じない正月が明けて、叔母にこのブログを母親にチクり、そのせいで父親の怒りを買ったり、ご飯が不味いと書いたのをご丁寧に読んだらしく料理を放棄されたり、とても大変だった。

こんなことになった私に対して叔母は満足しているのだろうか?

体調も過眠ばかりを繰り返し、起きたかと思ったら全く身体が言うことを聞いてくれず、起きている時間もずっとこたつに寝っころがっている日々が続いた。

おまけにずっと胃が痛く、痛みは腰や背中にまで広がっていた。

鬱によりストレスで胃が痛いのだと思うが、特に夕食後が一番ひどく、胃の中をチクチクと刺すような日もあれば、何か小動物のようなものが胃の中を暴れているような痛さもある。

身体も心も鬱だと完全に叫んでいた。

しかも鬱になると、ちょっとした出来事でもネガティブに捉えてしまい、ちょっとしたことでも傷ついてしまい、結果、何をしてもうまく行かないことしかなかった。

うまく行くかと思っても結果、だめになってしまい、こちらが勝手に期待していたものを裏切られたという感じで落ち込んでしまう。

で、その落ち込みをなんとか誤魔化そうと新しいことをやってみるのだが、結果、また失敗してしまう。

私はこの行為を血を血で洗うと勝手に呼んでいる。

意味は違うかもしれないが、イメージとして、傷ついて流れた血を良くないこと(血)でなんとか誤魔化しているイメージだ。

しかし、こんなに上手くいかないことが多いのは、私が鬱なだけなのか、何か運勢のようなものが良くないのかが分からない。

でも、実は今回ばかりは後者を信じている割合が大きい。

 

ところで、一昨日くらいから躁がはじまったみたいだ。

今度は睡眠時間が短くなってきた。

鬱で本当に何もしていなかったから、自分の足腰が弱くなってきたことに気付き、なんとか散歩でもしないといけない気がした。

歩いて2駅先のスーパーに行きたいと父親に言ったら、荒い口調で止められた。

自転車で行きたいと言ったら「事故にでも遭ったら目も当てられない」と今までずっと自転車生活をしていた私にそんなことを言ってきた。

私からすれば言いがかりも程がある。

私のことを心配して言うのならば、今まで一人暮らししていたときだって、誰も頼る人がいなく、でも空腹で鬱で動けないときだって自転車で遠く離れたスーパーやコンビニになんとか出かけていった。そのときに助けてくれなかったのではないかと思った。

結局、なにひとつ私の意見は聞いてもらえなかった。

思うに父親はこの日はとても機嫌が悪かったのだと思う。

私は父親がいなくなった瞬間に身体じゅうの血液が一気に頭まで集まってくるような、頭がパンパンになる感覚になった。

これは私がものすごい怒りを感じたときになる感覚なのだが、たぶん双極性障害になってからこの感覚になっている気がした。

私は自分の意見を全く聞いてくれなかった父親に対してあれこれと怒りの言葉を考えていてふと思った。

 

躁には何種類かあると思った。

楽しくてテンションが上がる躁があることは私も自覚している。

そして、双極性障害になって10年目にして、怒りの躁もあるのだとやっと発見した。

怒りの躁のときは、ともかく何を言われても、全部怒りに自分の中で変換してしまうらしい。

そういうときは、誰とも過ごさないのが一番だと思った。

なるべく自分のペースでいることが大事だと思った。

 

それに気付いた。

また父親が部屋に入って、炬燵で何事もなかったかのように読書をしている。

ともかく私はこのイライラを発散させねばと思った。

このイライラを発散させる方法は、すぐに出来る事と言えば、私の場合は散歩だった。

しかし、外出すら許してくれそうにない父親の発言を聞いてから、何と言って切り出していいか分からなかった。

しかし、このまま家にいてはストレスが爆発して、結果、また自分を傷つけることがあるのだろうと漠然と感じていた。

そこで父親に、躁になっていて、躁にも何種類かある躁であること。ストレス発散しないと大変なことになるので、散歩に行かせてほしいと言った。

父親はこちらが呆気に取られるほど快諾してくれた。

私の説明に納得したのか、機嫌が戻ったのかはいまいち分からない。

 

それにしても、躁と一言で言っても何種類もあったことにやっと発見できたのか、もっと早く知りたかったなと思う反面、でも気付けただけで良かったではないかとなんとか自分を励ます。

やっぱり、メモをマメに取っているからかもしれない。

 

 

mongumi.hatenadiary.jp

 

 

メモというか、私の場合は他人には見せられないTwitterのような感覚で使っている。

文字に起こすって本当に大事だなと思った。