がらくた

双極性障害と、本と映画と、日常と、小説ポエム書いて非日常へと。

歳相応の恰好という呪縛

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歳相応の恰好をしなさい」とよく世間では言う。

しかし、私はこの言葉があまり好きではない。

いくつになっても好きな恰好をしてもいいじゃないかと思う。

 

だいぶ前にテレビで、フランスの70歳代の女性が真っ赤なミニスカートを履いていた映像を見た。

それがその女性にとてもよく似合っていて、とても素敵だと思ったし、歳を取ったからミニスカートを履いてはいけないだなんて、とてもクダラナイことだったのだなと思った。

それを見てしまうと、歳相応の恰好なんてないなと思ってしまった。

 

しかし、先日、ネットでとても美人でスタイルの良い女性の写真が出てきてその写真を見たときに、私は正直彼女に対して「歳相応の恰好をすればいいのに…」と正直に思ってしまった。

 

彼女と70歳のフランスの女性の差はなんだろうと思ってしまった。

 

色々と自分なりに考えてみたのだが、歳相応の恰好をすればいいのに思った彼女はファッションを更新はしていないからだと思った。

10年前に流行ったファッションを未だにしているからだと思った。

だから、なんとなく時代を感じてしまい、ダサく感じてしまったのかもしれない。

いつまで90年代後半やら2000年代のファッションをしているのだと思う。

もちろん、90年代後半やら2000年代のファッションが個人的に好きで敢えて取り入れている人はいる。

でもそれでダサさを感じないのは、着ている人の容姿ではなく、どこかに現代のテイストを取り入れているからだと思う。

ファッションの更新はとても大事なのだなと思った。

ファッションの更新が面倒くさいなら、いつの時代もシンプルなものは時代遅れにならない。

シンプルなものをずっと長く着ていれば、ダサさはまだ感じない気がする。

 

もう一つ理由を考えてみた。

これはファッションの更新に近いと思うのだが、自分が更新されていくのを素直に察知できるかどうかでもあると思う。

これはどういうことかと言うと、年齢を重ねていくと、自分の体型や顔の皺なんかが増えてきたりと、若いころと変わってくる。

この変化に素直に受け入れて、自分の着たいファッションとどう迎合していくかだと思う。

確かにテレビで観た70歳代のフランスの赤いミニスカートを履いた女性は脚がとても綺麗だった。

彼女は自分の脚が綺麗だということをちゃんと分かっていて、ミニスカートを選んだのだと思う。

若いときはミニスカートが履けたのだから、歳を取った今でも履けるという楽観的な考えをするから「歳相応の恰好をしなさい」と言われてしまうのだと思う。

歳を取るとどうしても肉付きがよくなってしまうから、若いころのような脚ではない人が多いと思う。

そこに気付けるかどうかだと思う。

じゃあ、歳を取ったからミニスカートが履けないというわけでもなく、筋トレしたりマッサージをしたり、努力をしたりすればいくつになってもミニスカートが似合う女性であることはフランスの70歳の女性が証明してくれた。

 

ここまで書いて思ったのは、結局、歳を取ってからのファッションは、自分の体形をよく観察することと、自分のセンスを磨き上げることだと思う。

センスをいつまでも磨くことを怠るとたちまち化石のようなダサいものになってしまう。

それは流行をただ追いかけるということとはまた別のことだとも思う。

自分のなりたいスタイルをいつも想像し、その姿に似合う自分になるためにはどうすればいいか考え行動すれば、「歳相応の恰好」なんて呪いの言葉に惑わされずに、もっとファッションは自由になると思う。

 

こう書いてしまうとファッションってなんだかめんどうなものと思う人がいるかもしれない。

でも、ファッションが大好きな私は、このめんどうさがめんどうと感じずに、考えている時間がものすごく楽しいのだよなぁ。